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少年法の意義

少年法が制定されたのは昭和23年、戦後の混乱期だ。

さらには、大正14年制定の旧少年法もある。

時代背景として、食うや食わずやといった状況のため、生きるためにやむを得ず罪を犯し、

生きる糧を得る少年が少なくなかった。

そのため更正する余地は大きく、保護が妥当だとする判断があった。

生活基盤を整え教育を施し、手に職を付ければ罪を犯す理由がなくなるからだ。

そして今回の事件はというと、そういった背景は全くなく、

ただ犯人の興味本位による殺人でしかない。

しかも「被害者が死亡した故意犯」であり、少年法においても検察に送致するし、

18歳以上であれば減刑無し、16、17歳で多少の減刑が認められる程度だ。

ただ「自分の興味のためだけに殺人など重大な罪を複数犯した者」を、

「生きるためにやむを得ず罪を犯した少年」を保護するための法律で守る意味は無い。

加えて、少年法は更正の余地を成人の刑法犯より多めに見積もっている点にも注目する。

これは「必要に迫られ罪を繰り返し犯し、感覚が麻痺」した場合を想定し、

若いウチなら罪に馴れるのも早いが抜けるのも早い、との判断をしているのだろう。

しかし、この犯人の場合はそういう馴れによるものではない異常性が見られるし、

既に成人してしまっているのも問題だ。

こういうケースでは、『治療』をしても意識そのものを変えられはしない。

ただ自制心を強く持たせるのがせいぜいなのだ。

言い換えれば、いつ悪い虫が騒ぎ出すか判らず、時限爆弾を仕込むようなもの。

単純に隔離をしている方が周囲にとっては安全だし、

隔離されないのであれば危険人物である旨を周囲に知らせるべきだ。

高齢女性は死亡し、同級生は死線を彷徨った上に一生続く障碍を背負わされた。

それが「ただの興味本位」による結果だ。

少年法云々より、まずはその事実を重く受け止めるべきだろう。

少年法による報道規制は、努力義務であり罰則もない。

そもそも少年法を適用することには反対したい事件なのだし、

事の重大性を重く見た週刊新潮の判断を支持する。

元少女実名報道日弁連「遺憾」 タリウム事件

(朝日新聞デジタル - 02月24日 20:41)

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