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キリスト信徒側から見た仏教の素晴らしさ(回向)」

私は元々が禅宗曹洞宗)の出身であり、キリスト教とは縁もゆかりもない禅寺の山猿である。それが大学一年生の時に出逢った故 岩井義人先生(宗教哲学者・旧文学博士)との邂逅によって、キリスト教へと転向した。

だから仏教の偉大さはよく知っている。仏教は聖書の世界と比べると高度に哲学的なのだ。「原始仏教は宗教に非ず、倫理学説なり」という学説まであるほどだ。

そして大乗仏教での理論の深まり、特に華厳経の偉大さは、西洋人にももっと知られるべきだと思う。

んだが、私は私でキリストに殉じる生き方を若い頃、若い肉体と精神と魂を以て打ち込み、キリストの名の故に憎まれ迫害され、鞭打たれた上に汚名と恥辱のうちに消され、血まみれになってまで歩んできた。決して半端はやってない。そうして得た結論は、聖書の世界には仏教には感じ取れない恐ろしさ、青ざめるほどの怖さがある。あの味知っちまったら止められね〜ぜ、というのが本音だ。

だって戦をやれば相手がコロコロ勝手に負けおる。聖書のどこを見ても自分のことが書いてある。そして聖書のどの技も使いこなせる。そしてその世界の極意を掴んでしまった(仮にも十字架にかかり遂せたぞい。そして復活した)のだから、そりゃ足洗う気にはなりませんよ。

・・・その私が仏教を見てて、「これは素晴らしい」と思うのが「回向」である。

回向文は、多くの宗派が妙法蓮華経化城喩品第七から取る。

回向(妙法蓮華経化城喩品第七)

「願わくは此の功徳を以て、遍く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に、佛道を成ぜんことを」。

一部の宗派(浄土系)は、『観無量寿経疏』「観経玄義分 巻第一」 善導撰述から取る。

「「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」

「願わくは此功徳を以て 平等(あまねく)一切に施し同じく菩提心を発(おこ)して安楽国に往生せん」。

積み上げた修行を自分一人の功徳にせず、皆に回していく。これはキリスト教には無い発想だ。